太鼓台の歴史概説

西条市こどもの国に展示してある太鼓台
(新居浜改造計画・神野さんのご厚意により使用させていただいています。)

太鼓台の起こりがいつであるかははっきり答える資料は、現在のところ確認されておりません。
地域の伝承によると、祭礼の時、神輿に供奉する山車の一種で信仰を対象にした神輿渡御の際、その列に参加して厳かに供奉し、豊年の秋を感謝して氏神に奉納していたもので、その起源は平安時代、あるいは鎌倉時代までさかのぼるといわれています。
太鼓台が記録の上で出てくるのは、江戸時代後期、文政年間(1818〜1830)のことで、そのころは、「御輿太鼓」と書かれることが多かった様ですが、時代を経るにつれて「太鼓台」あるいは「太鼓」とされることが多くなってきました。
太鼓台の全国的な分布を見ると、瀬戸内沿岸の港町、漁師町あるいは大きな川の輸送拠点に多く見られます。これは、瀬戸内海の海上交通が古くから盛んで、物資の流通、文化の交流が活発に行われたことによるものと考えられております。
幕末から明治時代初期の太鼓台は、現在の子供太鼓台くらいの大きさしかなく、飾り幕も薄めでしたが、別子銅山の開坑により産業が発展し、地域経済が発展するにつれて、太鼓台を所有する地域の対抗意識も強まり、明治中期から昭和時代の初期の太鼓台は、現在の太鼓台と同じくらいの大きさになり、飾り幕は豪華になってきました。
昭和41年秋統一秋祭りとして10月16・17・18日に行われるようになるまでは、川東、八幡神社の秋祭りが13・14・15日、中萩、萩岡神社の祭りが15・16・17日、大生院派、飯積神社の祭りも15日から、川西、一宮神社の祭りが、17・18・19日、そして最後に、船木、船木神社と三島神社、泉川、浦渡神社、角野内宮神社の祭りが、21・22・23日と10日以上に渡り、市内の神社を中心に行われてきました。
昭和41年秋統一秋祭りとして10月16・17・18日に行われるようになるまでは、川東、八幡神社の秋祭りが13・14・15日、中萩、萩岡神社の祭りが15・16・17日、大生院派、飯積神社の祭りも15日から、川西、一宮神社の祭りが、17・18・19日、そして最後に、船木、船木神社と三島神社、泉川、浦渡神社、角野内宮神社の祭りが、21・22・23日と10日以上に渡り、市内の神社を中心に行われてきました。

太鼓台の運行と統制

新居浜市の太鼓祭りには、現在5地区で総台数47代の太鼓台が参加しています。
各太鼓台は、それぞれの自治会や、青年部が中心となり、運営委員会もしくは、保存会などを組織して、運営、管理などを行っています。また、所属する地区へも各太鼓台から代表委員などを派遣し、地区の運営委員会を組織しています。各地区の運営委員会は、所属する太鼓台の運行を統制し、かきくらべを実施するほか、無事故で明るい平和な祭典とするため、各種申し合わせ事項を決定しています。
全市的な取り組みを図るため、市議会、市連合自治会、警察、行政、各地区太鼓台運営委員会、商工会議所、神社庁、氏子総代会、観光協会などの代表で新居浜市太鼓祭り推進委員会を組織し、平和祭典推進事業を実施しています。

太鼓台の歴史

新居浜太鼓祭りの歴史

  

昭和2〜8年新田(角野)太鼓台購入

1937年

昭和12年

太鼓台出ず。

1938年

昭和13年

太鼓台出ず。

1939年

昭和14年

秋祭りに太鼓台が出る予定であったが、都合で中止となる。

1942年

昭和17年

太鼓台出る。

1943年

昭和18年

太鼓台の奉納問題が解決し、市内を除き各地区の太鼓台が繰り出される事となる。

1944年

昭和19年

太鼓台出る。

1947年

昭和22年

3地区で太鼓台が出る。

1951年

昭和26年

新居浜市太鼓台運営協議会発足。
太鼓台を盛大厳粛にしかも部落相互の親睦を図って、平和裡に意義あらしめようと「新居浜太鼓台運営協議会」が発足する。
太鼓台運営委員会を組織・上部。
泉川・角野・船木の3町村の太鼓台代表者が集まり、「太鼓台運営委員会」を組織し喧嘩防止の申し合わせを行う。

1953年

昭和28年

太鼓台、昭和天皇を奉迎。
10月21日、昭和天皇、四国国体に出席のため、御招列車で新居浜を通過、太鼓台14台が奉迎する。

1954年

昭和29年

市連合青年団に太鼓台運営委員会を設置。
新居浜市連合青年団に太鼓台運営委員会を設置し、スムーズな運行と平和運行への啓発活動を起こすことを決議する。
西町太鼓台購入。

1955年

昭和30年

30年頃、新田(多喜浜)太鼓台購入。

1956年

昭和31年

太鼓台の車、ソリの類一切禁止。
事故防止のため、太鼓台の車、ソリの類は一切禁止され、太鼓台の重量をもてあまし気味。また、警備のため、500人の警官が動員される。

1957年

昭和32年

岸之下太鼓台飾り幕のみ新調。

1958年

昭和33年

太鼓台の運行を地元の自主性にゆだねる。
平和運行太鼓台に平和運行賞授与。新居浜地方祭改善委員会が、平和運行を行った太鼓台に平和運行賞として賞金5000円と賞状を贈る。
33年頃、西町太鼓台上幕購入。

1959年

昭和34年

太鼓台、保証金積み喧嘩防ぐ。
川東地区では、太鼓台運営委員会が中心となって事前に保証金を積み立て、喧嘩をした場合はこれを没収することとする。

1960年

昭和35年

太鼓台運行競技会・川東
喧嘩追放をめざし、10月15日八幡神社で「耐久競争」「早がけ競争」「さし上げ競争」の3種目の総合得点を競う「太鼓台運行競技会」を開く。

1961年

昭和36年

太鼓台を文化財に。
新居浜地方祭改善委員会が、市内の太鼓台を文化財に指定するように市に働きかけることを決めた。
婦人が太鼓台先導・中萩。
10月17日、萩生西地区の婦人たちが、そろいのハッピ姿で同地区の太鼓台を先導、平和運行に一役かった。
平和祭を願って踊りを披露・岸影.。
岸影太鼓台に婦人60余人がつき、平和運行を願って踊りを披露した。

1962年

昭和37年

喧嘩をすれば、寄付をせず・垣生本郷
本郷自治会では、来年の飾り付け新調の条件として、喧嘩をした場合、新調はもちろん、太鼓台の修理や運行費は、一切寄付しないことをきめた。
平和運行のためハッピを新調・阿島
阿島自治会では、他地区からきた舁夫に太鼓台の平和運行を乱されることのないように、そろいのハッピを新調した。

1963年

昭和38年

テストケースで四輪車の太鼓台運行。
地方祭改善委員会、各地区太鼓台運営委員会では、四輪車太鼓台を採用、3地区の各1台が1日間、テストケースの四輪車の太鼓台の運行を行う予定。
本郷(垣生)太鼓台一式購入。

1964年

昭和39年

雨で宮入り1日延期(19日に)・川西。

1965年

昭和40年

子供会、平和運行を願い記念行事・川西。
17日、地区の子供会員は、太鼓台関係者らとの平和祭典祈願祭の後、平和な秋祭りをと呼びかけ自動車で市内をパレード、親善ソフトボール大会を開く。

1966年

昭和41年

第1回総合秋祭り10月16・17・18日。

1967年

昭和42年

平和運行報償、ミス太鼓台。
今年から初めて、平和運行を達成した太鼓台に、観光協力、平和運行の報酬を贈る。また川西地区などでは、市政30周年を記念して各太鼓台ごとにミス太鼓台を選び、花束を交換しあっ手、平和祭典の実現をめざした。

1968年

昭和43年

安全運行太鼓台コンテスト。
安全運行を守った太鼓台を賞揚するとともに、危険な太鼓台を市民が監視しようと行われ、通報と投票によって決定。

1969年

昭和44年

万国博出場太鼓台の審査会。
上部・・・10月17日、角野京美人前。川西・・・10月18日、大江浜広場。川東・・・10月18日、浮島八幡神社
大江太鼓台飾り幕のみ売却(宇摩郡土居町小林へ)
西町太鼓台布団締め購入(44年頃)
中須賀太鼓台高欄幕売却(新居浜市高祖へ)・新調
池田太鼓台一式購入

1970年

昭和45年

万国博覧会出場(江口・大江太鼓台)
又野太鼓台一式売却(宇摩郡土居町天満へ)
高祖太鼓台高欄幕、房を購入(中須賀太鼓台より)

1971年

昭和46年

太鼓寄せ・市役所前10月17日市役所前での初の太鼓寄せ。(川西8台・川東6台・上部6台、計20台)
中須賀太鼓台布団締め、上幕売却(新居浜市元船木へ)・新調
〜47年にかけて町太鼓台一式新調。
〜48年にかけて新田(角野)太鼓台、くくり、房、布団締めを修繕。
岸之下太鼓台飾り幕全て修繕。

1972年

昭和47年

平和運行に確約書を提出。
大江太鼓台が、「太鼓台平和運行宣言」を出したのに続き、川西・川東・上部地区の各太鼓台も確約書を提出するなど平和運行を申し合わせる。
よさこい鳴子踊りと交歓・川東。
10月17日、川東地区では、浮島八幡神社、多喜浜駅前にてよさこい鳴子踊りと交歓。(岸之下・松神子太鼓台)

1973年

昭和48年

阿波踊り登場。
10月17日各地区統一行動に、阿波踊りとちょうさ踊りが競演。(中須賀・東町)
町太鼓台入札にて飾り幕1枚ずつ売却。
〜50年にかけて新田(角野)太鼓台上幕、高欄幕修繕。
萩生西太鼓台飾り幕購入。

1974年

昭和49年

’74ふるさとの心日本の祭出演。(萩生西・町太鼓台)
新居浜太鼓台保存会発足。
2月、「文化的財産である太鼓台について、その伝統の維持、保存及び活用のために必要な措置を講じ、もって文化的向上と観光価値を昴揚する事を目的」として新居浜太鼓台保存会が発足。
平和祭典達成決起結集大会開催・川西。
10月14日、川西地区太鼓台運営委員会は、地区8台の太鼓台代表者約100人を集めて「平和祭典達成決起結集大会」を開き、3年連続の平和運行実現を誓った。
船御幸に大型台船登場。
フェリーボート主流の船御幸に大型台船が登場。
西町太鼓台高欄幕購入。
澤津太鼓台売却・一式新調。
昭和48年49年で山端太鼓台飾り幕購入、古い幕は自治会で競売。

1975年

昭和50年

統一寄せお流れ。
5ヶ年計画で予定されていた統一寄せ、計画最終年も場所で折り合いがつかず結局お流れ。
大江太鼓台飾り幕の内、上幕、高欄幕の一部修繕。

1976年

昭和51年

宇高太鼓台一式売却。(宇摩郡土居町野田へ)
松神子太鼓台一式売却。(宇摩郡土居町東天満へ)

1977年

昭和52年

宇高太鼓台一式購入。
東浜太鼓台一式売却。(宇摩郡上天満自治会へ)
阿島太鼓台飾り幕売却。(香川県仁尾町へ)・新調
松神子太鼓台一式新調。
北内太鼓台一式売却。(豊浜町城ノ端院内地区へ)

1978年

昭和53年

元船木太鼓台、国立民族学博物館入り。
西原太鼓台飾り幕購入。
新田(多喜浜)太鼓台売却。(香川県大野原町大福へ)
東浜太鼓台一式新調。
北内太鼓台一式新調。
下本郷太鼓台(大生院)一式購入。

1979年

昭和54年

新田(多喜浜)太鼓台一式新調。(菅原治縫い師の指導により自治会員による手作り)
元船木太鼓台一式新調。

1980年

昭和55年

東町太鼓台制作。
萩生西太鼓台飾り幕全体修繕。
池田太鼓台一式売却。(大野原町下林へ)・新調。
高祖太鼓台高欄幕、房、布団締め売却(下本郷太鼓台へ)・一式新調。

1982年

昭和57年

楠崎太鼓台一式新調。

1983年

昭和58年

又野太鼓台一式新調。
中筋太鼓台一式売却(新居浜市へ)現在強度美術館2会に展示。
下本郷太鼓台(大生院)一式売却。(観音寺田井自治会へ)

1984年

昭和59年

一宮神社境内での統一行動が3年ぶり復活。
昭和56年の御手洗い場倒壊事故から中止されていた一宮神社境内での統一行動が、3年ぶりに復活。
新田(多喜浜)太鼓台高欄幕修繕。(以後数年おきに自治会員により修繕。)
中筋太鼓台一式新調。
下本郷(大生院)太鼓台一式新調。(自治会有志による手作り)

1985年

昭和60年

新田(金子)太鼓台一式売却。(坂出市東梶へ)・新調。

1986年

昭和61年

10月17日新居浜駅前から高木交差点までの県道で川西・上部地区の太鼓台17台が市政施工50周年前年記念の合同寄せを行う。(2地区以上の合同寄せは、昭和46年以降15年ぶり)
花のお江戸で太鼓をかこう会結成。
第9回ふるさと区民まつり(世田谷区)出演。(北内・新田・松神子太鼓台)
世田谷区長とミス世田谷,太鼓祭りを見に来新。
12、13日国際青年年にちなんで本市青年と八幡浜市の青年が交流し、一緒に新調したばかりの白浜太鼓台を担いだ。
国鉄が合同寄せにあわせて新居浜祭り臨時列車を上下1本ずつ走らせる。
第28回全国交流会松山大会出演。(久保田太鼓台)
61か62年頃、江口太鼓台一式売却。(土居へ)・新調。
岸之下太鼓台飾り幕売却(坂出市林田町浜中へ)・一式新調。

1987年

昭和62年

市政50周年記念、統一寄せ(2回目)
10月17日、市政50周年を記念して、国領川河川敷で統一寄せ。大生院地区並びに前日の台風で被害が大きく運行を中止した阿島を除く29台の太鼓台が揃う。(上部地区9台、川東地区12台、川西地区8台)
新居浜市太鼓祭り推進委員会では、自治総合センターから宝くじ及広報事業の助成をうけ、太鼓祭り用のハッピ200枚とのぼり(竹ざおも含む)60本を新調。

1988年

昭和63年

松神子太鼓台房新調。
〜平成2年長野太鼓台一式購入。
大島中之町だんじり幕完成。(地元の手作り)

1989年

平成元年

スポレク愛媛’89出演。(大江・楠崎・長野太鼓台)
プレ国民文化祭出演。(大江・北内・松神子太鼓台)
久保田太鼓台新調。

1990年

平成2年

丸亀お城祭り出演。(新田・中須賀太鼓台)
第5回国民文化祭・愛媛90出演。(宇高・中筋・西町太鼓台)
阿島太鼓台太鼓修繕。
町太鼓台、上幕・下幕・布団締め修繕・房8本新調。
北内太鼓台布団締め修繕。

1991年

平成3年

川東地区が分裂運行。
川東西部地区運営委員会を結成。(澤津・宇高・町・本郷・山端・浮島太鼓台)
マイントピア別子に地元太鼓台4台が山御幸として初参加。(北内・新田・中筋・高祖)
浮島太鼓台新調。(自治会員の手作り)
北内太鼓台上幕修繕。

1992年

平成4年

北内太鼓台高欄幕修繕。
〜平成6年 3年かけて本郷(中萩)太鼓台保存運営委員会が制作する。
岸影太鼓台飾り幕売却。(坂出市川津地区へ)・一式新調。

1993年

平成5年

シンガポール第21回チンゲイ・パレード出演。(久保田太鼓台)
川東地区で船御幸が開催されるように成る。
東町太鼓台青年団が飾り幕の金糸替えを行う。
松神子太鼓台布団締め修繕。
中筋太鼓台布団締め修繕。
喜光地太鼓台飾り幕以外新調。(飾り幕は、旧阿島を使用)
土橋太鼓台一式新調。
上本郷太鼓台(大生院)一式新調。

1994年

平成6年

東町太鼓台飾り幕を売却。(新居浜市新須賀自治会へ)
新須賀太鼓台飾り幕、布団締め購入。
久保田太鼓台一式売却(愛媛県歴史博物館へ)・新調。
上泉太鼓台復活。
土橋太鼓台かき棒2本新調。
元船木太鼓台一式売却(坂出市湊自治会)・新調。

1995年

平成7年

川西地区全太鼓台運行休止。
川東地区白浜太鼓台が運行自粛。
上部地区、中萩校区の4台(岸之下・萩生西・土橋・本郷)と泉川校区の2台(上泉・松木坂井)が出場。
黒岩橋(中萩)を地元太鼓台6台が渡り初め。
新須賀太鼓台上幕・高欄幕購入。(有志で金糸替えを行う。)
松木坂井太鼓台35年ぶりに再建。
元船木太鼓台唐木一式・房・布団締め修繕。
上本郷太鼓台(大生院)かき棒新調。

1996年

平成8年

川東・川東西部地区八幡神社合同統一かきくらべ(14台)6年ぶり。
平和で楽しい秋祭りを目指し、統括組織準備研究グループが岸和田市へ調査に行く。
喜来太鼓台一式購入。

1997年

平成9年

市政60周年「太鼓台統一寄せ」楠中央通り(3回目)
新調太鼓台2台が加わり39台参加。
澤津太鼓台房新調。(青年団が手作り)
松神子太鼓台上幕・高欄幕修繕。
上原太鼓台一式新調。
土橋太鼓台太鼓1台修繕。
萩生東太鼓台一式新調。
岸之下太鼓台飾り幕全て修繕。
喜来太鼓台上幕修繕。

1998年

平成10年

川東西部地区太鼓台運行中止。
新須賀太鼓台重を新調。
下泉太鼓台一式新調。
喜光地太鼓台飾り幕新調。
萩生西太鼓台太鼓の皮張り替え。
喜来太鼓台房修繕。

1999年

平成11年

御堂筋パレード(大阪)に北内・萩生西太鼓台参加。
大江太鼓台飾り幕一式新調。
本郷(垣生)太鼓台売却(坂出市へ)飾り幕・房新調。
白浜太鼓台一式新調。(13年ぶり)
楠崎太鼓台飾り幕一式修繕。
下郷太鼓台一式新調。
岸影太鼓台布団締め修繕・飾り幕・房新調。

2000年

平成12年

2月24、25日地域伝統芸能祭り(NHKホール)に澤津太鼓台出演。
阿島太鼓台房・かき棒一式新調。
楠崎太鼓台布団締め一式修繕。
新田(多喜浜)太鼓台社の幕・布団締め修繕。

2001年

平成13年

田の上太鼓台一式売却。(新居浜市東雲へ)
松木坂井太鼓台かき棒4本新調。12mから13mへ
土橋太鼓台くくり新調。(自主制作)
長野太鼓台一式新調。
上本郷太鼓台(大生院)太鼓の皮張り替え。
下本郷太鼓台(大生院)太鼓の皮張り替え。

2002年

平成14年

5月30日ワールドカップサッカー大会開会式前夜祭(韓国ソウル市)に宇高太鼓台が出場。
長野太鼓台一式売却。(新居浜市庄内へ)
庄内太鼓台一式購入。
田の上太鼓台一式売却(新居浜市東雲へ)・新調。
東雲太鼓台一式購入。

新居浜市教育委員会発行・新居浜太鼓祭り展冊子より。