宗像神社
八雲
往吉伊予の豪族越智氏の手によって祀られていた上の宮と呼ぶ古社があり、
鹿屋野姫命、天道姫命、大国主命の三柱の神を祭神としていたが、飛鳥時代に
及んで筑紫宗像郡の豪族宗像氏が自らの守護神である宗像大神、
即ち市杵島姫命、多岐都姫命、多岐理姫命の三女神及び饒速日命、息長足姫、
誉田別命の六柱の神を奉じて筑紫国より新居郷庄内の地に移住して、
館を営み、上の宮森(現在の八雲の森)に社を造営して
宗像神社と申し上げたのが始めで、宗像神社参道の南手には、
宗像屋敷、祢宜屋敷、化粧田などと呼ぶ地名があって
往時を物語っている。
また宗像神社の南方八雲と呼ぶ処に、天王宮即ち八雲神社が
鎮座していて、速須佐之男命、奇稲田姫命、手撫乳命、足撫乳命の
四柱の神を奉斎していたが、この社は、いつの頃にか庄内高木小原に
移転申し上げ庄内上部落の氏神としたが、天正十三年の
兵火に罹り、郷山岡崎城趾の西部山の中腹国領川に
面したあたりを新しく社地とし、八雲神社を遷座し、
庄内表の天王宮と呼称することとなったが、牛馬の神とし、
また悪病除けの神として一般の信仰を受けた。明治四年に及んで、
この八雲神社は、宗像神社に遷座合祀され今日に及んでいる。
宗像神社の参道は、昔から庄内の長馬場と言われ、
国領川に達し六百五十メートルに及んでいたが、縮小され
現在は、二百五十メートル程となった。
当社の社宝には鎌倉期の随神二体と起請文に用いた牛王法印一面、
また鎌倉室町期のかえる蟇又三個があり、御遷宮の度ごとに
献上された神宝の御櫛が数十箱、棟札六十数枚が保存されている。